斎宮近鉄斎宮駅で降りるとすぐ目の前が斎宮跡地です。斎宮跡は国が定めた遺跡で、東西2km、南北700mにわたる137haがその範囲として指定されているのだそうです。 本当に広々としたところです。 ここに、歴代の斎王が住まわれていたのかと思うと感慨深いものがあります。 大伯皇女に会いに大津皇子はここまで来たのですね。 そのお話は後で大伯皇女の歌の碑を見に行った時にゆっくり思い出すこととして、まずは斎宮歴史博物館を目指して歩き始めました。 斎宮が最も栄えた平安時代の生活が体験できる施設がありました。 貴族の邸宅を模した伝統的工法による木造建築は建物そのものが古代建築の体験空間となっています。 ここは、平安時代や飛鳥時代だけではなくもっと古い時代からあったようです。 博物館のすぐ前に塚山古墳群がありました。 多くの土器や埴輪なども出土されているようです。 着きました、斎宮歴史博物館です。 実はここでは一日に二回だけ十二単を着ることが出来ます。 時間は10:30と2:00です。 今回は間に合わなかったので残念でした。 博物館の中は人形や模型を使って色鮮やかに再現されています。 当時の様子も立体的に見ることが出来ました。 映像展示室ではハイビジョン画像で斎王の儀礼と都から伊勢への旅を再現した「斎王群行」と「今よみがえる幻の宮」を見ることが出来ました。 特に印象に残ったのが、古代の話し方の映像でした。 oliveさんがお好きだと言われる意味が良く分かります。 ゆったりとした雅なお言葉と話し方なのです。 当時の貴人の生活が伝わってくるかのようでした。 わずか8歳で斎王に選ばれた良子親王(ながこしんのう)が都から斎宮に行く時のお話でした。 とても悲しいお話ですね。 父や家族と別れて旅立つのです。 もしかしたら永遠の別れとなるかもしれません。 斎王は未婚の親王様の中から占いで選ばれたのだそうです。 ↓がその占いで使われた骨や角です。 親王様はいよいよお別れの時に父である天皇から別れのお言葉と同時に、お櫛を頂くという行事があります。 それが↓の様子です。 このお櫛を前髪の上の方に挿したまま出発なさいます。 約一週間かけて、都から伊勢の斎宮へと旅立つのですが、当時は道なき道を行きます。 雨の中何度も苦難に合いながらの大変な旅だったようです。 しばらくすると、都の天皇からの使者が↓の銀の壺を持ってきます。 父である天皇もとても心配されていたのでしょうね。 そして、やっとの思いで斎宮に到着するのです。 それから、神に仕える毎日が始まります。 終りのない永遠に続く日々の始まりです。 古代からこうやって、多くの斎王様が神につかえて私たちを守ってくれていたのですね。 さて、私達は色々と博物館の中を見て回りその後、斎王の森の方へ行くことにしました。 続きは次回とさせていただきます。 本当に悲しいお話がいっぱい詰まっているところですね。 ジャンル別一覧
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